話したいことを好きなように話したことがない

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個人セッション初回。

前回、風呂上がりに頭の中で響いている声を口にするようアドバイスを頂いた。

「お母さん、ごめんなさい」

「怖い」

「ムカつく」

こういった言葉が頭の中で、ずっと響いていたのに、

ぶつぶつ口にするようになって、ずいぶん楽になった。

そして言葉が変化していった。

「怖い」や「ムカつく」が減り、

「ごめんなさい」が増えた。

そして最近は「苦しい」「寂しい」が出てくるようになった。

 

今回はその報告から開始。

さらに身体がノーと言うときの患者たちと共通する部分が多かったこと。

具体的には「完璧主義」「良い人であろうとする」「感情の抑圧」

他にも似たような傾向はいくつもあった。

そしてユング心理学入門の中でフロイトの心的外傷理論でもあるように、

自分の中に抑圧した感情=エネルギーが、

症状として現れている可能性について納得していることも伝えた。

 

アトピーはつまり、抑圧したエネルギーが発散される道を失って、

皮膚を突き破っているのではないかということ。

さらに抑圧されたエネルギーを発散させるためには、

そのエネルギーを表現する必要があること。

 

お金を払ってセッションをしてもらっているのに、

先生から「好きなことを話してくれていい」と言われて困るくらいには、

自分が思ったことを言葉にしてきたことがないことに気が付いた。

思ったことも頭の中でフィルターにかけて、

基本的には大体の言葉が飲み込まれていく人生だった。

 

そして好きなことを思いつくままに話していく中で、

自分が母親との関係で矛盾した気持ちを抱えていることを認めることができた。

 

本当は自分のことを好きなように話して聞いてほしいという寂しい気持ちと、

母もまた同じように親に話を聞いてもらえずに生きてきたはずのなので、

彼女に聞いてもらうにはあまりにも申し訳ない気持ちを抱えていた。

 

そのことに気づいていたのに、自覚していないように生きていた。

 

それを聞き手がいる状態で話をすることによって、

輪郭を与えるように認めることができた。

 

自覚できること、気付いていること、

それが先生曰く変化の起点になるとのことで、

まずがそのことを自覚的に生きていきたいと思う。
 

してほしかったことをしてあげる。されたくなかったことを決してしない。

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マルトリートメントという言葉が今日は気になった。

幼少期から継続している慢性的な恐怖心は、間違いなく私の人生に影を落としてる。

元彼に「いつまで親のせいにしてるん?」て否定されたけど、

それは自分自身が何度も自問自答した末に、

やはりこれはどうしようもない原始体験のせいだと、

そう思わざるを得ない、そう思わないとやっていられないからこその持論であって、

そこを苦しみの1ミリも知らない赤の他人に分かったように言われることの苦しさ。

 

でも同時に何度もそこを自分で変えようとはしている。

親を恨み続けるより、

自分がして欲しかったことを少しでもいい、

自分のできる範囲でやってあげたい。

そして自分がされて本当に嫌だったこと、怖かったこと、苦しかったこと、

それをもう2度と決して自分に対してしないと決意すること。

 

苦しんだ分だけ救われるなんて綺麗事だ。

でも苦しみがいつか何かの役に立つ日まで生きよう。

自分に気づいている時間を増やしていく

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精神科医チョン・へシンの「あなたは正しい」を読んでいる。

その中で「そのままの私」と言う表現が何度も登場する。

「そのままの私」とはつまり存在としての「私」だ。

他人から期待される役割やそう思って背負い込んでしまった性格ではなく、

ただそこにいる、何かを獲得する前の私。

 

残念ながら誰もが「そのままの私」に注意を向けてもらえないまま、

また自分自身も「そのままの私」の存在について自覚することがないまま、

孤独を募らせている。

 

ここ最近読む本に共通しているのは「感情」というマスターキー。

そして解決するための方法は「気づいていること」

 

何かを変える必要はない。

気づくだけ。

「そのままの私」に気づいているだけでいい。

そもそも気づくこと自体が大切だから。

 

 

なぜ感謝が必要なのか

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ジョー・ディスペンザのスピーチが気になり、

字幕の付いているこちらの動画にたどり着いた。

これまで幾度も感謝の重要性について聞かされてきたけど、

『感謝とは受けとることの究極的な状態』

この一文はこれまでのどんな説明よりも分かりやすかった。

そして『人は「感情の状態と同レベルの思考」しか

受け入れたり信じたりしない。

感謝の状態にあれば、あらゆる思考が体の中にすんなり入ってくる。』

 

つまりどれだけ引き寄せの法則を頑張って、

アファメーションしようとも

『体にマイナス指向の癖がついていると、体が思考を否定し、

思考は体の中に入っていかない』のだ。

 

10分は無理かもしれないので、

まずは1分でも寝る前に感謝の時間を持つ。

体が感情を覚えると言うのはディーパック・チョプラ氏も言っていることだし、

信憑性はかなり高そうだ。

完璧でないと愛されない

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「身体がノーと言うとき」を読んで、

改めて自分の中に人生を制限し、病に至らせる思い込みが存在することに気付く。

 

そこに登場する人物たちの思考や思い込み、セリフが、

まるで自分自身であるかのように感じることが多々あった。

 

また家族システム論で考えると、

母や父を憎み、そんな母や父を育てた祖父母たちを恨んだけど、

それは今の自分の位置から見える範囲の話であって、

そのもっと前からずっと続いているのだと思う。

 

そして誰が悪いとかいう話よりも、

その円環の中から自らの意志と努力を持って、

抜け出すこと。

自由になること。

 

少なくともこの病を通して、

自分の中に存在する思い込みに気づき、

そこから自分を解放しようとする機会を得たのだ。

 

またこのことを忘れ、思い込みのメカニズムの中に閉じ込められてしまわぬよう、

こうして記録しておく。

いつかは消えてしまうから

youtu.be

33年人間やってるけど、

本当の自分を生きたことはないのかもしれない。

本当の自分を愛したこともないんだろうな。

 

結局、世間体が息子より大事だった母のために、

いつも良い子であろうとして、

「もうこれ以上期待に応えるのは無理だ」

そう思ってその引かれたレールから外れたはずなのに、

「母の期待に応えられなかったダメな息子」

というレッテルを自分に貼り続けて苦しんでんの。

そして自分も図らずして世間体を気にしながら最適解を探す人間になっちまったの。

 

社会人になって何度も何度も心身が破壊されてしまうのは、

いつだって公私のバランスが100:0で公が優先されてしまうから。

 

身体は、言葉をちゃんと持ってるよ。

あなたがずっと無視し続けて聞こえなくなったけど、

病気を通して、症状を通して、

訴えてるよ、叫んでるよ。

 

いつかは消えてしまう。

それは明日かもしれない。

いや、このあとすぐかもしれない。

 

なのになんでいつも自分を殺して、息を殺して、

社会に合わせて生きてんのよ。

 

もう嫌だよ。